RESEARCH GUIDE / 2026.09.16
不妊治療中の性欲は
一つの曲線ではない。
不妊治療を始めると性欲は下がるのか、年齢や治療の種類で決まるのか。答えを一つの平均値にすると、治療を受ける本人とパートナーの違い、時間による変化、性欲以外の負担が見えにくくなります。医療的不妊で生殖補助医療(medically assisted reproduction:MAR)を受けるカップルの縦断研究から、何が測られ、何がまだ分からないかを整理します。
MAR中の性欲は、全員が同じように下がるわけではない
Rosenらの2026年研究は、医療的不妊でMARを求める217組を、ベースライン、6か月、12か月、18か月、24か月の5時点で調べました。カップルを分析単位にした結果、性欲の軌跡は4つのクラスに分かれ、急に低下して低い水準に至るクラスは10%、中程度の性欲クラスは27%、二人の性欲が食い違うクラスは37%、高い性欲クラスは26%でした。
研究全体では「主に低下する」軌跡が見つかりましたが、これはMARを受ける全員の未来を予言する一本の曲線ではありません。多変量モデルで残った関連は教育と関係満足度でした。年齢は治療を受ける側の年齢として単変量モデルで関連した項目であり、一般的な「何歳で性欲がピークか」という年齢曲線ではありません。
別の2026年研究は、医療的不妊の治療を受ける66組をベースライン、6か月、1年の3時点で追い、性機能と関係調整の時間的な方向を調べました。本人の性機能やパートナーの性機能が、その後の関係調整を予測する証拠も、関係調整がその後の性機能を予測する証拠も確認されませんでした。男性の性機能は1年間で低下しましたが、男女の関係調整は有意に変化しませんでした。これは性欲単独の因果研究ではなく、性機能と関係性を同じ問題へまとめないための比較材料です。
この研究にはMARを受けない対照群がありません。したがって、見られた低下を治療そのものの因果効果とは言えません。治療の前後に変化があっても、性欲・性機能・性行動・苦痛・関係性を分けて読みます。
性機能の変化と関係の変化は、同じ方向とは限らない
UhlichとPetersonの2026年研究は、不妊治療中の混合ジェンダーのカップル66組を、ベースライン、6か月、1年の3時点で追跡しました。縦断Actor–Partner Interdependence Model(APIM)で、本人とパートナーの性機能、関係調整の時間的な関連を分析しています。女性はFSFI、男性はIIEFを用いた性機能の指標で、欲求だけでなく覚醒、潤滑・勃起、オーガズム、満足度、痛みなどを含む複合的な尺度です。
本人の性機能もパートナーの性機能も、その後の関係調整を有意に予測せず、本人・パートナーの関係調整もその後の性機能を有意に予測しませんでした。一方、関係調整の領域では、一方の調整がもう一方の後の調整と関連しました。男性の性機能は有意に低下し、女性は小さな非有意の低下傾向でしたが、男女の関係調整は有意に変化しませんでした。
この研究から読めること
不妊治療中の性の困りごとを、欲求・性機能・関係調整・治療負担に分けて、本人とパートナーの両方から時系列で確認すること。関係調整には二人の経験が連動する領域があること。
この研究から読めないこと
不妊治療が性欲を必ず下げること、関係満足度を上げれば性欲が戻ること、男性と女性の普遍的な差、性欲単独の診断・治療効果、個人の同意や安全を決められること。
性欲が変わったのか、痛みや機能が困っているのか、関係の調整が難しいのかは別の相談です。治療日程や妊娠の目標があっても、相手に応じる義務や頻度の目標が生まれるわけではありません。
4つの軌跡は、カップル単位の分類
| クラス | 割合 | 研究上の読み方 |
|---|---|---|
| Steep Decline with Low Sexual Desire 急な低下・低い性欲 | 10% | 2年間の中で低下し、低い水準にある軌跡として分類された。個々人の診断名や、低下の原因を意味しない。 |
| Moderate Sexual Desire 中程度の性欲 | 27% | 研究で定義された中程度の水準の軌跡。全ての時点で一定、または本人が満足していることまで示す名称ではない。 |
| Discrepant Sexual Desire 不一致 | 37% | カップル二人の軌跡が同じではないクラス。差の大きさだけで、関係の良し悪しや誰かの責任は判定できない。 |
| High Sexual Desire 高い性欲 | 26% | 研究上、高い水準の軌跡として分類された。高いことが健康・満足・同意を自動的に保証するわけではない。 |
割合は研究のクラス所属割合。クラスはカップルの二者軌跡を統計的にまとめたもので、個人を「高い/低い」と固定するラベルではありません。
測ったのは、性欲の短い指標
性欲はベースラインから24か月まで、女性参加者にはFSFI(Female Sexual Function Index)の2項目、男性参加者にはIIEF(International Index of Erectile Function)の2項目を用いて測定されました。研究は性欲の時間的なパターンを調べていますが、各尺度の全領域を使った総合的な性機能の判定ではありません。
この研究が測った問い
5時点で報告された性欲の水準が、カップルごとにどのような軌跡を示すか。カップル単位の潜在クラス成長分析と、多項ロジスティック回帰で予測因子を調べました。
同じ数字にしない問い
勃起・潤滑・オーガズムなどの性機能、性交や自慰などの性行動、治療のための行動、性的満足度、本人の苦痛、同意や安全。これらは性欲の数値だけから逆算できません。
仮説と分析は事前登録されていました。とはいえ、測定項目が短いこと、オンライン自己報告であることから、研究のクラス名を本人の性欲の診断や目標値へ変換しません。
関連した要因は、年齢だけではない
単変量モデルでは、男性因子不妊、二人それぞれの関係満足度、MARを受ける側が感じるパートナーの支援、MARを受ける側の年齢、教育がクラス所属と関連しました。複数の要因を同時に扱った多変量モデルでは、教育と関係満足度が有意な予測因子として残りました。
ここでの「年齢」は、治療を受ける側の年齢とクラス所属の関連です。年齢が性欲を一方向に決めること、男性・女性の普遍的な性欲曲線、ある年齢なら治療中の変化が避けられないことは、この研究から言えません。性別ごとにFSFIとIIEFの項目を使っている点も、単純な男女比較を避ける理由です。
読める範囲
治療中の性欲を個人の生物学だけでなく、関係満足度、パートナー支援、教育などを含む文脈で評価する必要性。
読めない範囲
関係満足度を上げれば性欲が必ず上がること、パートナーの支援が低下を防ぐと確定すること、年齢や不妊因子から個人の未来を予測すること。
不妊治療の「性」を4つに分ける
不妊治療では、性行為が妊娠のための予定や医療的手続きと結びつきやすく、二人の親密さと治療の課題が重なることがあります。ただし、性行動の頻度や、性交をしたかどうかから、本人の性欲や自由な同意を判定することはできません。
性欲
性行為や性的な親密さを望む感覚。今回の研究の中心ですが、2項目の自己報告で測られています。
性機能
覚醒、勃起、潤滑、オーガズム、痛みなどの機能面。性欲の高さ・低さと同じアウトカムではありません。
性行動・治療行動
性交、自慰、親密な接触、採精や治療日程への対応など。行動の有無は、欲求や同意の強さを一つで表しません。
苦痛・関係性
変化を本人がつらいと感じるか、二人の関係満足度や衝突がどうか。平均から外れたこと自体が病気という意味ではありません。
「治療中だから性欲が下がった」「性交が続いているから問題ない」と決めつけない。望み、身体の負担、苦痛、関係の安全、同意を別々に確認します。
217組の結果を、誰に広げられるか
対象は医療的不妊でMARを求めるカップルです。研究のサンプルは教育・就労水準が高く、白人・異性愛者が中心で、社会的不妊の人を含みません。MARを受けないカップルの対照群もないため、ここで示された軌跡が治療特有なのか、治療前からの変化なのか、他の生活上の負担によるものなのかは区別できません。
したがって、日本の不妊治療中の全カップルの割合、年齢別の標準値、治療法別のリスク、個人の2年後の予測として使うことはできません。既存の欲求不一致の研究ともつながりますが、今回の37%は一般のカップルにおける不一致率ではなく、この研究のクラス割合です。
「性欲を上げる」より、変化と苦痛を確認する
著者らは、MAR中の性欲の軌跡が一様でないことを、心理教育・評価・介入で考慮する必要があると述べています。これは全員に性行為や頻度を増やす課題を課すという意味ではありません。性欲の変化が苦痛や衝突につながっているか、身体的な痛みや性機能の困りごとがあるか、治療やパートナーからの圧力を感じていないかを、本人の言葉で確認するという意味です。
相談時に分けて伝えること
いつから変わったか、望みの変化か機能の困りごとか、治療日程との関係、苦痛・痛み・気分、パートナーとの話し合いの安全性。
記事の数字で決めないこと
性交の頻度、治療を続けるか、相手に応じる義務、薬の変更、性欲の「正常値」。必要なら生殖医療・婦人科・泌尿器科・性の健康や心理の相談先へ個別に確認します。
研究が教えないことを、先に線引きする
- MARを受ければ性欲が下がる、または治療をやめれば戻るという因果。
- 4つのクラスが、すべての不妊治療中の人に同じ割合で現れること。
- 年齢、性別、不妊因子、教育から、個人の性欲や関係の将来を予測すること。
- 性欲の2項目から、性機能・性行動・性的苦痛・同意の状態を判定すること。
- 高い関係満足度やパートナー支援を、本人が応じる義務や治療上の処方へ変えること。
急な変化、強い苦痛、痛み、性機能の困りごと、気分の悪化、安全や同意をめぐる不安がある場合は、研究の平均値で処理せず、治療を担当する医療者や信頼できる相談先へ個別に相談してください。
不妊治療中の性欲を読む5つの確認
- 何を測ったか:性欲、性機能、性行動、性的満足度、関係調整・関係満足度、苦痛を分ける。
- 誰のデータか:治療を受ける側か、パートナーか、二人を組にした分析か。年齢・性別・関係形態・不妊の文脈を見る。
- 何時点のデータか:一時点の平均か、同じカップルを追った軌跡か。治療前の値と対照群があるか確認する。
- 関連か因果か:回帰モデルで関連した項目を、性欲を変える治療法や個人の原因へ言い換えない。
- 本人の苦痛と同意はどうか:頻度の目標ではなく、望み、身体の負担、話し合いの安全、相談したいことを本人の言葉で整理する。
参考文献
- Rosen NO, Jabbour K, Marcotte-Beaumier G, Rossi M, Bergeron S, Brassard A, Péloquin K. Patterns and predictors of classes of sexual desire trajectories in couples with medical infertility undergoing medically assisted reproduction. The Journal of Sexual Medicine. 2026;23(8):qdag216. DOI: 10.1093/jsxmed/qdag216 / PMID 42447399.
- Uhlich, M., & Peterson, Z. D. (2026). A Longitudinal Examination of Sexual Functioning and Relationship Adjustment in Couples with Infertility. Journal of Sex Research, online ahead of print. DOI 10.1080/00224499.2026.2695856 / PMID 42418333.
参照日は2026年9月16日。出版社本文・PubMed・PMC(Rosen研究)・DOIで書誌情報、対象、測定、軌跡、時間的な関連、限界を確認しました。研究の要約は日本語で再構成したもので、原文の長い引用ではありません。
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