RESEARCH GUIDE / 2026.08.12

低い性欲を、
苦痛と原因に分ける

性欲が低いと感じたら、それだけで病気なのでしょうか。研究で「低い性欲」と「本人が苦痛を感じていること」は別に測られ、年齢、性行動、関係性、薬、気分、身体症状も影響します。HSDDという略語が使われる研究を、自己診断や一律の治療指示に変えず、何が臨床的な相談対象になり得るのかを読み解きます。

公開日 2026年8月12日 / 最終更新 2026年8月12日 / 欲望の時間割 編集部

低い性欲と、苦痛を伴う性欲低下は同じではない

大規模なオーストラリア研究では、低い性欲は18〜79歳で年齢とともに増えましたが、低い性欲と性的苦痛を合わせた研究上のeHSDDは40〜64歳で高く、その後は低下しました。若い人では性的な苦痛があっても低い性欲とは限らず、年齢が高い人では欲求が低くても本人の苦痛が同じように高いとは限りません。

「HSDD」は研究や時期によって使われる定義・名称が異なります。研究では、低い欲求に加えて一定以上の苦痛を条件にしたり、他の身体・精神・薬剤・関係性の要因を評価したりします。低い性欲だけを見て自己診断するのではなく、持続期間、本人の困りごと、他の変化、同意と安全を含めて医療者と相談する問題です。

低い性欲と苦痛を、研究デザインごとに分ける

研究対象・方法測ったもの主な読み方
West et al.
2008
米国の全国代表に近い世帯確率標本。安定した関係にある30〜70歳の女性2,207人を電話調査。Profile of Female Sexual Functionの欲求領域、Personal Distress Scale、閉経状態。低い性欲とHSDDを別に推定。低い性欲は自然閉経後で高く、HSDDは外科的閉経群で高かった。関係にある人に限る設計。
Zheng et al.
2020
オーストラリアの地域女性10,554人、18〜79歳。PFSF・FSFIの低い欲求とFSDS-Rの苦痛を組み合わせた横断研究。低い欲求、性的苦痛、研究上のeHSDD、年齢、関係性、性活動、向精神薬。低い欲求は年齢とともに増えたが、eHSDDは40〜64歳で高く、その後低下。若年の苦痛と中年期のeHSDDを同じ曲線にしない。
Kingsberg et al.
2019
HSDDと評価された閉経前女性を対象にしたRECONNECT二つの第3相無作為化比較試験。24週間。FSFI欲求領域、低い欲求に関連するFSDS項目、満足できる性行為、安全性。ブレメラノチド群は欲求と関連苦痛をプラセボより改善したが、診断・選択基準のある試験。一般の低い性欲への自己使用の根拠ではない。
Lerner et al.
2022
HSDDと診断された女性106人。8週間の集団認知行動療法53人と待機リスト53人のパイロット無作為化研究。FSQQの欲求・関心、前戯、興奮、快適さ、オルガズム・満足。CBT群で複数領域が改善した。ブラジルの選択された小規模試験で、全ての低い性欲の原因や治療を決めない。
Thurston et al.
2022
HSDDの閉経前女性40人を、キスペプチン注入とプラセボへ割り付ける二重盲検クロスオーバー研究。両方を完了したのは32人。性的映像・魅力度画像への脳反応、心理指標、ホルモン、苦痛との関連。脳処理の変化を示す機序研究で、日常の性欲を治す臨床試験や自己投与の根拠ではない。
ACOG女性の性健康に関する公的患者向け案内。欲求、覚醒、オルガズム、痛み、薬、抑うつ・不安・ストレスを分けて説明。持続期間、本人の不安・悲しみ、性欲が始まる時点、痛み、薬や病気の影響。低い欲求だけを病名にせず、持続する困りごとや原因候補を医療者と評価する相談境界を示す。

※ 研究ごとに年齢、パートナー条件、性的活動の定義、質問票、苦痛のカットオフが異なります。割合や診断条件を自分へそのまま当てはめません。

「性欲が低い」を六つに分ける

低い性欲という一言の中に、違う問いが混ざります。相談や研究では、本人の言葉を一つの病名へ急いで置き換えずに分解します。

欲求の強さ・頻度

性への考え、空想、始めたい気持ち、受け入れたい気持ち。どの対象への欲求か、一人か相手かも分けます。

苦痛・困りごと

本人が不安、悲しみ、苛立ち、喪失感、関係上の困難を感じているか。低い欲求と別に測る中心的な指標です。

持続期間・変化

いつから、急にか徐々にか、以前からか、月経・妊娠・更年期・薬の開始と重なるかを確認します。

覚醒・潤滑・痛み

欲求があっても覚醒や潤滑、痛みが問題になることがあります。低い欲求だけで身体症状を説明しません。

性行動・機会

性行為の頻度や性活動の有無は、パートナー、同意、時間、健康、機会の影響を受けます。欲求の代理ではありません。

原因候補・除外

抑うつ、不安、ストレス、疲労、薬、ホルモン、病気、関係性、痛み、性的トラウマなど複数の経路があります。

苦痛がない低い性欲を、本人の価値観や同意を無視して「治すべき異常」と決めません。苦痛があるときも、欲求を増やすことだけを目標にしません。

年齢の曲線と、苦痛の曲線は同じではない

Zhengらの10,554人研究では、低い欲求の割合は18〜24歳の27.4%から75〜79歳の91.6%へ増えました。一方、低い欲求と苦痛を合わせたeHSDDは18〜24歳の12.2%から40〜44歳の33.4%へ増え、60〜64歳までおおむね同じ水準の後、75〜79歳で7.3%へ低下しました。これは年齢が上がるほど全員が同じ変化をするという意味ではありません。

若い人では、性への期待、関係性、体験、文化、心理的負担などが苦痛に関わる場合があります。中年期では、低い欲求と本人の苦痛が重なる人が相対的に多いという研究結果がある一方、閉経や身体症状、薬、関係性などを個別に確認する必要があります。年齢の平均を個人の診断基準にしません。

低い欲求がある

性への関心や開始意欲が少ないという自己報告。本人が困っているか、いつからか、他の症状があるかは別に確認します。

苦痛がある

自分の望みと違う、関係性に影響する、悲しさや不安が続くなど、本人が相談を望む理由。欲求の量だけでは測れません。

「HSDDか」を先に決めず、背景を確認する

研究上のHSDDは、低い欲求だけでなく、本人の苦痛や一定期間の症状を含めて分類されます。さらに、薬や物質、抑うつ・不安、身体疾患、ホルモン変化、痛み、関係性、望まない性行為や安全の問題が関わる場合は、原因候補を別に評価します。分類名をつけることが、体験の説明を一つに固定することではありません。

大規模研究では、eHSDDがパートナーあり、性的に活動していない、教育年数が長い、向精神薬を使う人と関連しました。これはパートナーや薬が原因だと証明したものではなく、相談時に関係性・性活動・薬・気分を同時に尋ねる必要を示す関連です。

「パートナーがいるから苦痛」「薬を飲んでいるから原因」と短絡しません。本人の意思、同意、関係の安全、服薬の必要性を尊重して、医療者と一緒に整理します。

治療試験の結果を、一般の低い性欲へ広げない

ブレメラノチドの第3相試験は、HSDDと評価された閉経前女性1,267人を24週間無作為化し、欲求領域と欲求に関連する苦痛を別々に測りました。薬群はプラセボより改善しましたが、吐き気、ほてり、頭痛などの有害事象も多く、診断・選択基準のある臨床試験です。研究記事を読んで自己判断で薬を使ったり、現在の薬を止めたりする根拠にはなりません。

集団認知行動療法のパイロット無作為化研究でも、HSDDと診断された106人の複数の性機能領域が改善しました。身体の痛み、抑うつ、不安、関係性、安全、薬などで必要な支援は変わります。治療は「性欲の数字」を上げる競争ではなく、本人が望む性や親密さを安全に取り戻せるかを含めて考えます。

キスペプチン研究は脳反応を調べた少人数の機序研究です。脳画像の変化は、日常の性欲の診断や市販・自己投与の根拠ではありません。

相談するときは、病名より体験を伝える

性欲の変化が続いて苦痛がある、急に変わった、薬の開始・中止と重なる、抑うつや不安がある、乾燥・痛み・出血・感染がある、望まない性行為や安全上の問題がある場合は、婦人科、かかりつけ医、性医学・心理支援などへ相談します。ACOGも、欲求、覚醒、オルガズム、痛み、薬、ストレスや気分を分けて評価する案内をしています。

相談前に、いつから、どの場面で、どの程度困るか、欲求・覚醒・痛み・満足度・睡眠・気分・薬・月経や更年期の変化を簡単に記録しておくと、原因を一つに決めずに話しやすくなります。相手の期待だけを基準にせず、本人の同意と望みを中心にします。

この記事はHSDDや女性の性機能障害の診断を行うものではありません。自傷の考え、暴力や強制、急な強い痛み・出血など安全に関わる状況がある場合は、通常の性欲スコアではなく、地域の緊急・医療支援へ。

研究が教えないことを、先に線引きする

  • 低い性欲があるだけで、必ず病気・障害・治療対象になるということ。
  • 研究上のeHSDDやHSDDの割合を、自分の診断やパートナーの評価へそのまま置き換えること。
  • 年齢、閉経、性行動、パートナーの有無、向精神薬との関連を、単一の原因や本人の責任へ変えること。
  • 治療試験の平均的な欲求・苦痛の変化を、全ての低い性欲や全ての年齢層へ一般化すること。
  • 本人の同意や望みを確認せず、性欲を高くすることだけを健康の目標にすること。

低い性欲と苦痛を分けることは、困っている人の相談を軽く扱うためではありません。本人の体験を、年齢・関係性・薬・身体・気分の一つに押し込めず、必要な支援へつなぐためです。

参照した一次研究と公的資料

  1. West SL, D'Aloisio AA, Agans RP, Kalsbeek WD, Borisov NN, Thorp JM. Prevalence of low sexual desire and hypoactive sexual desire disorder in a nationally representative sample of US women. Arch Intern Med. 2008;168(13):1441–1449. DOI: 10.1001/archinte.168.13.1441. PMID: 18625925.
  2. Zheng J, Islam RM, Bell RJ, Skiba MA, Davis SR. Prevalence of Low Sexual Desire With Associated Distress Across the Adult Life Span: An Australian Cross-Sectional Study. J Sex Med. 2020;17(10):1885–1895. DOI: 10.1016/j.jsxm.2020.07.007. PMID: 32773344.
  3. Kingsberg SA, Clayton AH, Portman D, Williams LA, Krop J, Jordan R, Lucas J, Simon JA. Bremelanotide for the Treatment of Hypoactive Sexual Desire Disorder: Two Randomized Phase 3 Trials. Obstet Gynecol. 2019;134(5):899–908. DOI: 10.1097/AOG.0000000000003500. PMID: 31599840.
  4. Lerner T, Bagnoli VR, de Pereyra EAG, Fonteles LP, Sorpreso ICE, Soares Júnior JM, Baracat EC. Cognitive-behavioral group therapy for women with hypoactive sexual desire: A pilot randomized study. Clinics. 2022;77:100054. DOI: 10.1016/j.clinsp.2022.100054. PMID: 35905577.
  5. Thurston L, et al. Effects of Kisspeptin Administration in Women With Hypoactive Sexual Desire Disorder: A Randomized Clinical Trial. JAMA Netw Open. 2022;5(10):e2236131. DOI: 10.1001/jamanetworkopen.2022.36131. PMID: 36287566.
  6. American College of Obstetricians and Gynecologists. Your Sexual Health. 公的患者向け案内。参照日 2026-08-12.

参照日は2026年8月12日。研究の定義、苦痛の測定、対象集団、治療試験の選択基準、自己診断できない限界を確認し、低い性欲を一律の病名・治療指示へ言い換えていません。

研究アップデート一覧へ戻る →

関連:欲求差と性的苦痛の研究を読む性欲スコアの測定を読む薬と性機能の研究を読むストレス・疲労と性欲の研究を読む