RESEARCH GUIDE / 2026.08.11
薬と性欲の変化を、
どう読み分ける?
「薬を飲み始めてから性欲が変わった」と感じても、その変化が薬だけで説明できるとは限りません。抑うつ症状そのもの、症状が軽くなったこと、治療中に出る性機能の変化、睡眠・痛み・関係性などが同時に動くためです。抗うつ薬の無作為化比較試験を使い、欲求・覚醒・潤滑や勃起・オルガズム・満足度を分けて読みます。
薬の名前だけで「性欲が上がる/下がる」と決めない
研究結果は一方向ではありません。SSRIによる性機能の変化を経験した女性を対象に、ブプロピオンを追加した試験では、プラセボより欲求や複数の性機能指標が改善しました。一方、がん治療後の閉経後女性を対象にした別の大規模な試験では、ブプロピオンはプラセボを上回りませんでした。
この違いは、薬の優劣を一言で決める材料ではなく、対象者の背景、薬の使い方、測定した構成概念、期間が違うことを示します。研究を読むときは、抑うつ症状の改善と治療中に出る性機能変化をまず別の問いにします。
同じ「薬と性欲」でも、試験の問いが違う
| 研究 | 対象・方法 | 測ったもの | 主な読み方 |
|---|---|---|---|
| Safarinejad 2011 | SSRIによる性機能障害がある25〜45歳の女性218人。ブプロピオンSR追加とプラセボを12週間比較。 | FSFIの欲求、覚醒、潤滑、オルガズム、満足度など。 | ブプロピオン群で複数領域の平均値が高かった。ただし、特定の女性集団への追加療法の試験で、薬を飲む全員の結果ではない。 |
| NRG-CC004 2022 | 乳がんまたは婦人科がんの治療を終え、欲求が低い閉経後女性230人。ブプロピオン150/300mgとプラセボを9週間比較。 | FSFIの欲求サブスケールと性機能全体。 | 3群すべてで改善が報告されたが、ブプロピオンはプラセボを上回らなかった。がん治療後の背景を一般の服薬者へそのまま広げない。 |
| Jacobsen 2015 | 症状が安定したうつ病で、SSRIによる性機能障害を経験した成人447人。ボルチオキセチンまたはエスシタロプラムへ8週間で切替。 | CSFQ-14の性機能総得点。 | 8週時点の改善幅はボルチオキセチン群の方が大きかった。すでに反応しているSSRIからの切替試験であり、未治療者への比較ではない。 |
| Jacobsen 2019 | 性機能が正常な健康成人361人、18〜40歳。パロキセチン、ボルチオキセチン10/20mg、プラセボを5週間比較。 | CSFQ-14の総得点・下位領域と治療中に出る性機能障害。 | パロキセチンはプラセボより性機能を損ね、ボルチオキセチンはプラセボとの差が有意でなかった。健康成人の短期試験で、うつ病治療の効果は測っていない。 |
※ 「改善」は各試験の尺度上の平均値や群間差です。個人の性欲が必ず変わること、薬を替えるべきこと、どの薬が最適かを意味しません。
「性欲が変わった」を五つに分ける
性欲は性反応全体の別名ではありません。論文の尺度が何を含むかを確認しないと、欲求の変化をオルガズムの遅れや身体的な反応の変化と取り違えます。
欲求・関心
性行為や性的な刺激を求める気持ち、性的な考えや関心。性機能総得点の一部として測られることもあります。
覚醒・身体反応
主観的な興奮、身体の反応、潤滑や勃起など。欲求があることと、身体反応が十分であることは同じではありません。
オルガズム・射精
到達しやすさ、遅れ、強さ、射精の変化など。欲求が保たれていても、別の領域に変化が出ることがあります。
満足度・苦痛
性生活をどう評価するか、変化をどれほど困難に感じるか。性機能スコアの低さと本人の苦痛は同じ指標ではありません。
「性欲が下がった」という一文だけでは、薬の作用、抑うつ症状、眠気、身体反応、オルガズムの変化、性生活への満足度のどれが動いたのか分かりません。
抑うつ症状の改善と、治療中の変化を分ける
うつ病や抑うつ症状は、意欲、関心、睡眠、身体感覚、関係の持ち方に影響し得ます。治療で気分や生活が改善すると性欲が戻る人も考えられますが、その変化だけから薬の直接作用を推定することはできません。反対に、気分が改善していても、治療中に性的な副作用が残る場合があります。
健康成人を対象にした2019年試験は、抑うつ症状の改善という交絡を減らして薬剤の性機能シグナルを見やすくした設計です。けれども、健康成人の5週間の結果は、うつ病の治療効果や長期服用時の個人差を答えません。症状のある人を対象にした切替試験も、薬の変更と時間経過、元のSSRIの影響を完全に切り分けるわけではありません。
薬の影響を考える材料
開始・増量・減量・切替の前後で時間的な変化があるか、同じ領域の変化が続くか、対照群や比較薬との差があるか。
交絡になり得る材料
抑うつ症状、睡眠、疲労、痛み、他の薬、ホルモンや身体疾患、関係性、性行為の機会などが同時に変わっていないか。
ここでいう「治療中に出る性機能障害(TESD)」は、薬を飲んでいる間に性機能の困りごとが出たり悪化したりする現象を指す研究用語です。診断名や、特定の薬を自分で選ぶためのラベルではありません。
ブプロピオンの二つの試験を並べる理由
ブプロピオンを使った二つの試験は、結果が食い違うからどちらかが間違い、という関係ではありません。Safarinejadらの試験は、SSRIによる性機能障害を経験している月経のある女性に、追加療法として12週間行われました。NRG-CC004は、がん治療後の閉経後女性の低い欲求に対する9週間の単剤比較で、プラセボを上回る差を検出できませんでした。
年齢、月経・閉経、がん治療の影響、元の抗うつ薬、性機能障害の定義、薬の使い方、期間、評価尺度が異なります。したがって、二つの結果から「ブプロピオンは性欲に効く」「効かない」と一般化するより、どの条件でどのアウトカムが比較されたかを読む方が正確です。
研究が支える範囲
特定の対象・期間・比較条件では、薬の追加や切替によって性機能尺度の群間差が観察されることがある。
研究が支えない範囲
性欲を上げる目的で薬を開始・中止・変更すること、他の薬へ自己判断で切り替えること、誰にでも同じ効果が出ること。
副作用は、性欲だけでなく相談のしやすさも読む
厚生労働省の薬局向けマニュアルは、抗うつ薬の副作用による性機能障害の例として、性欲の低下やオルガズムの遅れ・欠如などを挙げています。同時に、性に関する話題は相談しにくい背景があるため、患者が話せる環境をつくることも扱っています。これは薬の効果を比較する試験ではありませんが、研究の数値に出てこない「伝えにくさ」を考える公的な補助線になります。
服用中の変化が気になるときは、処方した医療者や薬剤師に、いつから・どの領域が・どの程度つらいかを伝えます。自己判断で休薬、減量、増量、他人の薬への変更をしないことが、研究記事より先にある安全の境界です。
薬と性欲の変化を読む5つの確認
- どの領域か:欲求、覚醒、潤滑・勃起、オルガズム、満足度、苦痛を分ける。
- いつからか:薬の開始・増量・減量・切替、抑うつ症状や睡眠の変化との時間関係を確認する。
- 何を比べた研究か:プラセボ、別の薬、治療前後のどれと比べたのかを見る。
- 誰の結果か:健康成人、SSRIによる性機能障害がある人、がん治療後の人など、対象を一般化しない。
- 次の相談は何か:薬を変える結論ではなく、変化の記録と困っている領域を処方医・薬剤師に共有する。
急な強い変化、強い苦痛、痛み、気分の悪化、安全に関わる不安がある場合は、研究の平均値で処理せず、早めに医療機関へ相談する領域です。
参考文献
- Safarinejad, M. R. (2011). Reversal of SSRI-induced female sexual dysfunction by adjunctive bupropion in menstruating women: a double-blind, placebo-controlled and randomized study. Journal of Psychopharmacology, 25(3), 370–378. DOI 10.1177/0269881109351966 / PMID 20080928
- Barton, D. L., et al. (2022). Randomized Controlled Phase II Evaluation of Two Dose Levels of Bupropion Versus Placebo for Sexual Desire in Female Cancer Survivors: NRG-CC004. Journal of Clinical Oncology, 40(4), 324–334. DOI 10.1200/JCO.21.01473 / PMID 34882500
- Jacobsen, P. L., Mahableshwarkar, A. R., Chen, Y., Chrones, L., & Clayton, A. H. (2015). Effect of Vortioxetine vs. Escitalopram on Sexual Functioning in Adults with Well-Treated Major Depressive Disorder Experiencing SSRI-Induced Sexual Dysfunction. The Journal of Sexual Medicine, 12(10), 2036–2048. DOI 10.1111/jsm.12980 / PMID 26331383
- Jacobsen, P., Zhong, W., Nomikos, G., & Clayton, A. (2019). Paroxetine, but not Vortioxetine, Impairs Sexual Functioning Compared With Placebo in Healthy Adults: A Randomized, Controlled Trial. The Journal of Sexual Medicine, 16(10), 1638–1649. DOI 10.1016/j.jsxm.2019.06.018 / PMID 31405765
- 厚生労働省(2024)『薬局における疾患別対応マニュアル ~患者支援の更なる充実に向けて~ 精神疾患(気分障害)』。厚生労働省の案内 / PDF
出典は2026年8月11日にPubMed・出版社ページ・DOI・厚生労働省の公的資料を確認しました。研究の要約は日本語で再構成したもので、原文の長い引用ではありません。
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